城崎あれやこれや

地ビールどたばた奮闘記 6. 台風その後

 従業員の無事が確認出来てほっとしたのもつかの間。水が引いて、何とか車で現場まで行って待っていたのは一面の泥と漂流してきた木やゴミの山でした。もともと水がつきやすい所なのはわかっていたので、店を作る時も道路からは2mほど上げて作ったのですが、それでも2m近くの壁面に水がついた跡がくっきり残っていました。ビール工場のタンクの一つが傾き、醸造設備も泥だらけ。店内は一面の泥で、外壁も一部やられていました。大型冷蔵庫が2つあったのですが、1つはお隣の敷地に、もう1つは土台ごと流されて跡形もありませんでした。

 

 店として再建出来るのか、ビールをもう一度作れるようになるのかわからないまま、従業員全員で泥だしを始めました。一種のハイ状態で、落ち込んでいる前に体を動かしていたのを覚えています。何せ泥だらけになるので、全員長靴を履いてタオルを頭にかぶっての作業です。戻ってくると車も体もドロドロ。頭の中もドロドロ状態。2日目から少し冷静になり、今後どうするのかを考え始めました。まず、設備が使えるようになるのか。以前書いた通り、醸造設備はアメリカ製。タンクは勿論、バルブやチラー(冷却機)、ボイラー、瓶詰め機、熱交換器が泥だらけ。幸いなことに、コンピューター制御されている醸造設備のメインとなる所は高い場所にあったため無事でした。機械が直せるのか、直せないのかもわからない。部品を新たに買うにしても、どこで買えるのかもわからないという状況でした。自分達だけではどうにもならないので詳しい所に聞いてみようと、瓶や瓶詰機などでお世話になっている大阪の喜多産業さんに問い合わせた所、喜多産業の技術者の方がはるばる城崎まで来て下さいました。技術者と一緒に部品を一つずつチェック。部品交換で対応出来る所は対応して、駄目な場合は買うしかありません。総額いくらになるかもやってみないと正確な所はわかりません。工場には発酵タンクと貯酒タンクがそれぞれ4本ずつで計8本のタンクがあるのですが、その中にある発酵途中のビール、既に商品として出来上がっているビールは全て駄目で廃棄処分となりました。勿論保険は入っていましたが、基本的に保険は火災には手厚いですが、水害や地震などには手厚くないのです。一体この先どうなるのか不透明なまま、泥だし作業は毎日続けました。

 

ありがたいことに、多くの方のご支援を頂けるようになりました。泥出しを青年会議所が声がけしてくれたボランティア部隊が手伝って下さいました。人数が増えると、作業スピードがアップしますし、心が強くなり頑張ろうという気持ちが湧いてきます。自分達も大変な中迅速に動いてもらった豊岡青年会議所のメンバーには心より感謝しています。友達の工務店は、他にも修理依頼があって目の回るほど忙しい所、うちの復興に尽力してくれました。

 

私が以前勤めていた、㈱リクルートの皆さんからは募金や励ましのメッセージを数多く頂きました。その中には江副さんのお名前もありました。TV局に働きかけてくれて城崎に宮根さんも取材に来てくれました。まだ恩返しがちゃんと出来ていないことを心苦しく思っていますが、感謝の気持ちは一時も忘れたことはありません。

 

お客様や酒屋さんからも励ましのお言葉をたくさん頂きました。「地ビール復興を楽しみにしています。」「また城崎ビールを飲みたいです。」という言葉のなんとありがたかったことか。ある酒屋さんは、「協力出来ることがあったら何でも言って下さい」と言って下さいました。台風で地ビールというものを再度考えるきっかけが出来ました。自分達で始めたビジネスだけど、城崎ビールという名前をつけさせてもらい、多くの方に飲んで頂き、いつの間にか社会的な役割や責任を背負っているんだということを感じました。私達の城崎ビールを楽しみにして頂いているお客様が一人でもおられる限り、何としても続けていきたいと思いました。僕が「絶対に地ビールは辞めない」とみんなの前で宣言した時は、従業員も驚いていました。泥だししながら復活は難しいだろう、次の仕事を探さないとと思っていたようです。決心するまでには勿論修繕費用の見通しや数字上の見通しもたてはしましたが、私を動かしたのは数字だけではありません。台風くらいで逃げ出してはいけない、何としてもやりとげなければという強い思いが私を後押ししてくれたように思います。

 

ビール工場の再建までは目途をたてましたが、レストランの改修までは手が(お金が)回りませんでした。飲食部門は以前から始めていた城崎温泉駅前のグビガブカフェに完全に本拠を移し、レストランとして使っていたスペースはビール工場の倉庫や冷蔵庫として使うことにしました。

GOOD DESIGN賞を頂いたレストランですが、こうして残すのが精一杯でした。

台風23号が10月20日。ビール事業の再開が丁度年末、年が明けてから新しいビールを販売することが出来ました。

2月ほどの間でしたが、少し自分が変われたように思います。ちょっとだけですが、腹が座ったというか。人生本当に何が起こるかわかりませんね。

その時助けて頂いた多くの皆様、本当にありがとうございました。今こうしてブログを書いていられるのも、皆様のおかげです。皆様のお力添えがなかったら、きっと心が折れて事業をやめていたことでしょう。この場をお借りして改めて感謝致します。

地ビールどたばた奮闘記 5. オープンその後 そして最大のピンチが

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今回は第5回目となります。年末年始をはさんで忙しくしていたためブログの更新が出来ませんでした。年賀状でこのブログを楽しみにしていますと書いて下さっている方もおられ元気を出して引き続き書いていきたいと思います。

 

オープンした後、集客のためにいろいろ手を打ちました。地元のコミュニティーFM局である「FMジャングル」がスタートしたので、応援したい気持ちもあり開局の日からスポンサーになりました。番組も手探りの中、毎日夕方にグビガブのコーナーを設けてもらい、その日のおすすめメニューをPRすることにしました。その後僕の好きな曲を流すというコーナーでした。他の枠では日本の曲がほとんどでしたがグビガブのコーナーだけ洋楽一本。ジャングルは曲のストックもあまりなかったので、音源は自分のCDでそのバンドの紹介もしながら曲をかけていました。当時担当してくれたDJのハーシーと相談しながら内容は好きに決めていました。

 

よくライブもやりました。都会と違い生の音楽を聴く機会が少ないのでそれなら自分でやろうと都会から好きなミュージシャンをよびチケットも売りました。ジャズやボサノバ、ラテンなど生の曲を楽しみながら(時には踊りながら)料理と地ビール、ワインを楽しんでもらいました。山口 武さんや小林エミちゃんには何回も来てもらいましたが、いつ聴いても素晴らしいステージでした。ボージョレー解禁の日はワイン会。シェフがソムリエの資格もとりましたので、ワインを6種類用意して、それに合うお料理を楽しんでもらいました。レストランウエディングや結婚式の2次会もやり多くのカップルが誕生しました。


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今ならSNSなどで知ってもらうことも出来ますが、当時はチラシか、ラジオ、タウン誌が主な媒体でした。計画から集客まで良くやれたと思いますが、今思うと一番の財産となったのは地元の方と深いつながりが出来たことです。多くのお客さんと出会い、多くを学びました。

 

飲酒運転の取り締まりが厳しくなり、お客様も下降傾向にあった中 忘れもしない平成16年(2004年)10月20日台風23号がやってきました。 オープン7年目のことです。グビガブのある円山川の左岸(右岸も)は台風が来るとよく水がつきます。そのことはわかっていたのでグビガブは道路より2mほど高くして店と工場を作っていました。10月20日も水がつきそうだったので店は早くに閉めましたが、丁度ビール醸造の日だったためにブルーワー(ビール醸造者)は帰るわけにいかず仕事をしていました。私もどうせ水はついてもいつものことでひどいことはないだろうとたかをくくっていました。しかしあっという間に水位が上がり、ついには店の高さまで。私は旅館に戻っていましたが、ブルーワーが一人残って仕事をしていました。もう帰れと指示をした頃には動けない状況に。その後も水位は上がり続け、円山川の左岸も右岸も完全に水がつき、グビガブは陸の孤島に。従業員と連絡がつくのは電話だけとなりましたが、電気が駄目になり電話も断線。いよいよ携帯のみ。しまいには携帯の充電も切れ、本人と連絡もつなない状況になりました。何とか状況を確認したくても店の近くまで行くすべもなく、水位がこれ以上上がらないのを祈るのみとなりました。城崎の温泉街も低い所は水がつき初め、お客様の避難誘導をしないといけない旅館も何軒か出てきました。山本屋は幸いなことに何とか助かりましたが、前の大谷川も氾濫まで後少しのところでした。城崎総合支所に対策本部が出来ましたが、総合支所が水につき、支所まで水の中行き、店に従業員が取り残されているので何とか救出してほしいと頼みましたが、ヘリコプターもで払っているし、流れが速すぎてボートでも行けない状況です。不安と心配でまんじりともしないまま朝を迎え、水も少しずつ引いてきました。

9時頃だったでしょうか。近くまで行くことが出来、従業員の無事を確認できた時は本当にほっとしました。夜電気もつかず、真っ暗な中、水は150cmほどつき醸造設備の階段の上で朝を迎えたそうです。従業員が無事で何よりでしたが、店内に入ってみるとビールの醸造設備はやられ、店内は泥だらけ。厨房設備も駄目、空調も駄目。冷蔵庫は土台ごと流され跡形も無くなっていました。

Merry Christma!!

スケッチ風

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旅館から見える景色をスケッチ風の加工をほどこして

撮ってみました。
城崎のイメージにあっているような気がします。

地ビールどたばた奮闘記 4. いざオープン!!

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工務店の不渡りという激震に心痛めながらも開店に向けて準備することはたくさんあります。醸造設備を設置するのに、アメリカから専門の職人がやって来ました。現場の日本の職人さんとアメリカの職人さんが一緒に仕事をうまくやっていけるか心配でしたが、そこは職人同士。言葉がちゃんと通じなくても思っていた以上にスムーズに進みました。

 

ブルーワーの面接もやりました。㈱リクルートでは人事をやっていたので日本人の面接なら得意ですが、外国人の面接の場合は何を聞いていいかさっぱりわかりません。私がアメリカで面接するという手もありましたが、日本の(城崎の)環境に本人が適応できるかどうかが大事だと思ったので、日本まで来てもらって面接しました。ブルーワーとしての腕は作ってもらわないとわからないので人物面だけしか評価できるところはありません。

1人目はあまりにも繊細な感じがして、日本で1人でやっていくには心配だったので採用せず。2人目の面接の時も困りました。私が関空まで迎えに行ったのですが、出てきたアメリカ人は映画でしか見たことがないようなクルンとした口髭をたくわえていました。正直判断に困りましたが、城崎に来る車中も結構話がはずんだので「よし彼でいこう」と心に決めました。ケンというブルーワーです。最初は2年ほどということでしたが、ケンも城崎が気に入り、結局6年ほど頑張ってくれました。城崎の秋祭りも大好きで、祭りにも参加して、カラオケで下手な歌を一生懸命歌うケンはいつしか城崎の人気者になりました。

 

料理はコースとカルト両方でスタート。当初の予定通り、黒板で日替わり料理もやることに。値段やメニュー表も試食を重ね何回も打ち合わせを重ねました。開店の日を決めるのも簡単ではありません。建物の完成がいつになるか、ビールの醸造に何日かかるかを考えながらもなるべく早く開店したいということで11月16日に。店をオープンして誰も来なかったでは困るので、チラシを作って新聞折り込みにしました。正式なオープン前に地元でお世話になった方達を招いて、試飲試食もして頂きました。

 

毎日遅くまで準備し、緊張感一杯で開店の日を迎えました。

心配していましたが、ありがたいことに開店時間前にはたくさんの人に集まって頂きました。地元のお客様も但馬で始めての地ビールレストランが出来るということで一度は行ってみたいと興味津々だったことと思います。オープンしてしばらくは毎日満席で洗い物や仕込みがおいつかず、従業員が帰るのは12時前という状況が続きました。サービスや仕事の流れもまだ効率が悪いので、仕事が終わってまかないを食べながら反省会を毎日開きました。忙しいけど、充実した日々でした。

城崎温泉 かに王国

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11月6日のかに漁の解禁から、3月末まで、城崎温泉はかに王国という王国になる。11月23日には第31回のかに王国開国式が開催された。開国式の後に行われた「かにさんありがとう絶叫大会」をニュースでご覧になった方もおられることと思う。「かにさんありがとう」の後の絶叫も時代を反映して面白い。特に子供の絶叫は素直な分、毎年心にしみる。

 

かに王国には国王や大臣がいる。私は総理大臣の任を受け、ようこそ大臣やもてなし大臣、うりだし大臣などの閣僚とともに王国を盛り上げていくことになった。かに王国の親善大使は城崎泉隊オンセンジャー、それにミスゆかたコンテストで選ばれた城崎温泉観光大使が華を添える。かに王国では「健康で明るい物心共に豊かな国造りを目指すという崇高な理想を掲げた憲章に則り、国民老若男女相携え、邁進努力するものとし、我が国入国の外国人を全て国賓としてうやまう」ことを王国宣言で謳い、国民みんなでお客様をもてなす。

 

今年で31回の開国式ということは、31年前にかに王国は誕生したということ。31年間かにと温泉には変わりないが、かにの楽しみ方には随分バリエーションが増えてきたと思う。昔はかには泊まりで食べるものだったが、いつからか昼食として食べて温泉に入る日帰りツアーも出来たし、調理方法もかにすきは勿論、かに刺しや焼きがなどのついたフルコース。最近ではそれに但馬牛までついたプランも登場してきた。他にもかに寿司、かにうどん、かにそば、かにラーメン、かにまん、かにサンド、かに丼、かにアイスにかにビール。お土産でもかにサブレ、かに最中、かに煎餅、かにのキーホルダーにかに枕もある。旅館、飲食店、物産展が趣向を凝らし、毎年のように新しい商品、サービスを開発してきた。どこでどんな商品が楽しめるかは毎年編集し直し発行している王国マップでご確認頂きたい。ネット上でもご覧頂けるし、まちのあちこちで配布もしている。

 

日本海側ではあちこちでずわい蟹があがるが、これだけバリエーションがあり、国としておもてなしするのは城崎温泉ならでは。31年目のかに王国にも数多くの国賓が訪れて頂けることを祈っている。

城崎温泉かに王国

2012/12/06 | 年年歳歳

11月6日のズワイガニ漁の解禁から、来年3月末まで、城崎温泉街(豊岡市城崎町)は、かに王国という王国になる。
 11月23日には、かに王国開国式が開催された。開国式の後に行われる「カニさんありがとう」と叫ぶ絶叫大会をニュースでご覧になった人もいると思う。「カニさんありがとう」の後の絶叫も時代を反映して面白い。特に子どもの絶叫は素直な分、毎年心にしみる。
 かに王国には国王や大臣がいる。私は総理大臣の任を受け、「ようこそ大臣」「もてなし大臣」「うりだし大臣」などの閣僚とともに王国を盛り上げていくことになった。
 かに王国の親善大使は城崎泉隊オンセンジャー、それにミスゆかたコンテストで選ばれた城崎温泉観光大使が花を添える。
 かに王国では「健康で明るい物心ともに豊かな国造りを目指すという崇高な理想を掲げた憲章にのっとり、国民老若男女相携え、まい進努力するものとし、わが国入国の外国人をすべて国賓として敬う」ことを王国宣言でうたい、国民みんなでお客様をもてなす。
 開国式は今年で31回目。31年前にかに王国は誕生した。31年間カニと温泉に変わりないが、カニの楽しみ方には随分バリエーションが増えてきたと思う。
 カニは昔、泊まりで食べるものだったが、いつからか昼食として食べて温泉に入る日帰りツアーもできたし、調理方法もカニすきはもちろん、カニ刺しや焼きガニなどの付いたフルコース。最近ではそれに但馬牛まで付いたプランも登場してきた。
 他にもカニずし、カニうどん、カニそば、カニラーメン、カニまんじゅう、カニサンド、カニ丼、カニアイスにカニビール。お土産でもカニサブレ、カニもなか、カニせんべい、カニのキーホルダーにカニ枕もある。
 旅館、飲食店などが趣向を凝らし、毎年のように新しい商品、サービスを開発してきた。どこでどんな商品が楽しめるかは毎年編集し、発行しているかに王国マップで確認してほしい。インターネット上でも見られるし、街のあちこちで配布もしている。
 日本海側では、あちこちにズワイガニがあがるが、これだけバリエーションがあり、おもてなしするのは城崎温泉街ならでは。かに王国に数多くの国賓が訪れていただけることを祈っている。

地ビールどたばた奮闘記 3. 料理・建物

ビールだから、ソーセージや空揚げ、建物はレンガを使ったドイツ風で。安易にそう結論づけるのが一番嫌でした。それは旅館なら、全国どこでもお刺身や天ぷらを出すのと同じ様におかしなことだと思いました。海外では地ビールのことをCRAFT BEER と呼びます。小規模工場で造るまさに手作りのビールなので、言葉としてはCRAFT BEER の方がしっくりきます。原料となる麦芽を地元のものを使うのは現実的には大変難しい。水は地元の水を使いますが、それだけで地ビールというのはいかがなものかという思いがずっとありました。では、どこで地のこだわりを表現するのか。それははやり地元の食材や気候にあったビールということ。

 

城崎は蟹が有名ですが、日本海に近いため、新鮮な魚介類が年中豊富です。但馬牛もあるし、お米や野菜も安心、安全です。本当に食材に恵まれています。その食材を活かしたお料理を出したい。そして、それにあうビールを作りたい。

場所は城崎温泉から玄武洞に行く円山川に面した所に丁度土地を持っていたので、そこを使うことに。円山川の景色を最大限活かした建物にしたいと思いました。

 

料理はフレンチ、イタリアンなどの形式にはこだわらず、なるべく素材を活かして理想としてはその時あがった新鮮な魚を調理して召し上がって頂く。旅館で和食は召し上がっているのとビールとのマッチングも考え洋風に仕上げる。運よく知り合いの紹介で、素晴らしいシェフと出会うことが出来、一緒にメニューの検討を始めました。定番メニューもおくけれど、黒板で本日のおすすめメニューをやろう。夜はコース料理もやろう。いくら素晴らしい料理でも高すぎては駄目だし、わかりにくいカタカナの言葉が並んでも注文しにくい。試食を繰り返しながらメニューを固めていきました。

 

建物については、まず設計士さんを探さないといけません。と言っても地ビール工場併設レストランなんてほとんどの人はやったことがありません。今回の事業スタートにあたり、私の中高大、そして会社の先輩である㈱ケイオスの勝見さんには最初からお手伝いをお願いしていました。設計士も紹介してもらうことに。工務店を決めるためにJCでお世話になっていた建築関連の先輩に、相談に乗ってもらいながら、3社に見積もりを依頼しました。値段だけでなくいろいろ検討して1社に決めましたが、その決断が大変な災いのもととなります。契約してすぐその工務店が不渡りを。財務内容がよくないという噂は耳にしていましたが、取引先の銀行の支店長に確認したところ大丈夫だというので、安心して契約したのですが、とんでもないことになりました。すでに手付金も払っているし、醸造設備も1/3は支払っていました。

今でもその時のことは忘れられません。結果的には工期は大幅に遅れたものの何とか建物は出来ました。本当に眠れない日を何日過ごしたことか。多分大丈夫だろうという希望的観測では駄目なことがあるということを思い知らされました。金銭的にも精神的にも高い授業料でした。

地ビールどたばた奮闘記 2. アメリカ視察旅行

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久しぶりのアメリカ。それも単身でビジネスの視察ということで、楽しみと幾分の緊張でロスの空港に到着。空港で待ち合わせのはずだが担当者がいない。おかしいと思って確認すると1日日程を間違っていたらしい。仕方なく?ホテルをとり、ディズニーランドで観光。1日得したような、損したような気分。翌日醸造設備を取り扱っている会社に向かう。アメリカで十数か所に醸造設備を導入し、ビール醸造者(ブルーワー)育成の学校も運営しているBBIという会社だ。西海岸らしい気持のいい天気の中2m近くで100kgを超えるアジア地区の営業担当者とオフィスに向かう。まず社長に会う。社長と言ってもまだ若く、40前後と言ったところか。モーニングコーヒーを飲みながらお互い自己紹介した後、社長のMUSTANGで一緒にBBIの醸造設備を導入している地ビールレストランに向かう。醸造設備併設のレストランのことをブルーパブ(brewpub)というが、ブルーパブで実際にビールを作っているところを見ながら出来たてのビールを飲むと実に味わい深い。ブルーワーの話を聞きながらおすすめのビールを何種類も飲んでみる。色も香りも味も様々だ。アメリカというとバドワイザーのイメージが強く、軽いビールだけを作っていると思っている方が多いかもしれないが、実は世界中のスタイルのビールが飲める。ブルーパブやマイクロブルーワリー(小規模ビール工場)をあわせると1500はあると言われる世界一のビール大国なのだ。

 

3ケ所ブルーパブを回り、ブルーワー育成学校も見て視察を終える。見学したところは、どこも地域に根差している感じがしたし、設備自体も綺麗で扱いも難しくなさそうだ。日本にも経験を積んだブルーワーを派遣してもらえる。会社自体は大企業というわけではないが、ビールを作る上での技術力は折り紙つき。一番チェックしたかった財務内容も問題なさそうだ。営業マンとのやりとりは英語だし、契約書なども英語だが、FAXもメールもあるのでそれもなんとかなるだろうと気持はBBIとの契約に傾いて視察旅行を終える。

 

地ビール事業をスタートするためには、まだいくつもの難関が待ち構えている。まず製造免許の取得。それからレストランの設計、メニュー開発。そして銀行交渉。

 

製造免許の取得はとても大変で、資料だけで数十ページになった。どこの機械をいくらで入れて、どういう製造方法で造るのか。また出来たビールをいくらで売って、売上予測はいくらで採算ベースにのるかどうか等、全てを作成する必要がある。税務署に何回も通い、どれだけ資料を作り直したかわからない。商社やコンサルをやとって地ビール事業をスタートした所は、免許取得もお金を払ってやってもらっているところが多いが、うちは全部の書類を私が揃えた。資料作りで苦労したが、今思うとその時の下調べがとても役に立っている。経費の節約の何倍もの効果があった。自分の頭の整理が出来たしその時の知識が銀行交渉の役にも立った。資料を作りながら自分なりのこだわりも固まってきた。

 

まず、麦芽100%の本格ビールを作りたい。やるからには地元の食材にあったビールを提供したい。それから、レストランとしても満足してもらえる料理を提供したい。この2つが私の一番のこだわりで、それは今も変わっていない。地ビール自体が始まったばかりで、どれだけ日本に根付くか予想が出来なかった。もし地ビール人気がすたれても、おいしい料理を出していればレストランは存続出来る。どこかから補助金ももらうわけでもなく、資金に余裕がある大企業がやるわけでもない。失敗したら即経営難に直面するので、失敗は許されない。そのためには、おいしいビールを作って何が何でも存続させる。今思うと当時の私にはそういう気合いが前面にあふれていたと思う。税務署や銀行交渉で、最も大事なのは何が何でも成功するんだという思い入れの強さだったかもしれない。

地ビールどたばた奮闘記 1.

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1997年の1116日に地ビール工場とレストラン「城崎ビール&ダイニング グビガブ」をスタートしたので、今年の11月で15年を迎えることが出来ました。年をとって最近のことは良く忘れるのに、何故かお店をオープンした頃の事はまだ鮮明に覚えています。オープンまで、そしてオープンしてからも本当にいろんな事がありました。15年というひとつの区切りにあたり、ブログで今までのどたばたを振り返ってみたいと思います。

 

問題なく思い通りにいったことはほとんどありません。本当にどたばたの連続です。その時その時は真剣に悩み考え動いてきたつもりですが、思い返してみると、良くあんなあぶなっかしいこと出来たなという連続です(^_^;)。でもその時の経験が今の自分を作っています(^^)

 

書いてみないと何回シリーズになるかはわかりませんし、面白い記事が書けるかどうかもわかりませんが、興味のある方は読んでみて下さいね。

 

1回目は、アメリカに醸造設備を買い付けにいくところまでを書いてみます。

 

日本で地ビールのムーブメントが起こったのは1995年、当時の細川政権の規制緩和政策のひとつとして、ビール製造免許の緩和が行われたのがきっかけです。それまでは年間2000kl製造しないと製造免許は取得できなかったのが、60klで免許がおりるようになりました。日本の第1号はエチゴビール。マスコミでもよく取り上げられ、地方でチャレンジする姿に元気をもらいました。城崎温泉は蟹は勿論、新鮮な魚介類、但馬牛など食材に恵まれています。また但馬地方は昔から水が良く、おいしい地酒の産地としても有名でした。新しい物好きの私にとっては城崎で地ビールとレストランをやってみたいと思うのに時間はかかりませんでした。

 

地ビールと言っても詳しい知識は何もないところからのスタートなので、世界のビールを実際に飲んでみることから始めました。通販で世界中のビールを飲みまくり、その奥深さに驚きました。色も味も香りもこんなに違うんだということにまずびっくりしました。特にベルギーのビールには衝撃を受けました。世界には数百種類のスタイルのビールがあるのに、今まで飲んできたのはほとんど日本のピルスナーというスタイルだけ。今までの人生なんて損をしてきたんだろうって思いました。(日本のビールしか飲んだことないという方は今からでも遅くありません。是非世界のビールを飲んでみて下さい)

本もビールに関する本なら何でも読みました。おかげで今でもうんちくは得意ですよ(笑)。

 

事業としてスタートするには醸造設備をどこからいくらで購入するかが、まず最初の問題です。情報収集のために大阪や東京で開催される地ビール醸造設備を扱う業者のフェアーに参加し、多くの業者の方と会いました。そして既にオープンしていた地ビール工場やレストランに行きました。

選択肢としては大きく分けて3つありました。

1.醸造設備を扱う商社から購入する。

2.大手のビールメーカーから購入する。

3.直接海外のメーカーから購入する。

 

1.2.はどちらも当時60007000万でした。

3.の海外から直接買う場合はその半額でした。値段の問題だけではありません。1.2.は使う設備と作るビールがセットになっているものが大半でした。地ビールというからには、地元の食材にあうビールを自由に造りたいと思っていたので、造るビールの選択の幅が少ないことは私にとっては大きな問題でした。

商社の場合不安だったのは、まだ地ビールビジネスを始めて1年も経っていないため、商社の中にノウハウが蓄積されていないのではないかということでした。大手メーカーの場合は、そもそも零細とはいえ他社のビールを売るのに本気になるのか、また規模が違いすぎてノウハウも違うのではと。どれも勝手に心配していただけで、本当は違っていたらお許し下さい。

 

3.は価格的には圧倒的に優位ですが、懸案事項は山積みでした。まず、会社が信頼できるものかどうか。技術的に大丈夫か、トラブル対応時はどうするのか、日本にあった設備なのか、輸入や契約は大丈夫か。そもそも日本語で対応出来るの?

 

実際にそこのメーカーの設備を導入している工場が日本にもあり、そこのお話も聞き大分安心はしましたが、やはり本社に行ってみないとわからないと思い、アメリカまで行くことにしました。ここから先は第2回に書きたいと思います。アメリカに行くのは3回目でしたが、本格的なビジネスでは始めて。ここからが波乱万丈のスタートとなります。

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